運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
63件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2007-05-07 第166回国会 衆議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 第6号

かつてのいわゆるアフガン問題、そしてパーレビ国王が倒れた後、イラクへの肩入れ、もう本当にオセロの白黒をアメリカが、石油資源、軍事の問題、対ソ連と、そして最近においては、結局、ユーロによる石油代金の決済でアメリカがどうのこうのとか、石油の、そういう対ヨーロッパとの関係、実はいろいろな思惑、価値観アメリカ中東に関与してきたわけですよ。  だから、この国がどうも敵の味方だ、つまり黒だ。

古賀一成

2007-05-07 第166回国会 衆議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 第6号

麻生国務大臣 アメリカのこれまでの中東政策をさかのぼると、やはりイランパーレビまでさかのぼらないといかぬのじゃないですか。最近の話だけしても、とてもじゃないけれどもわかりませんし、その前はやはりパレスチナ、イスラエルができました一九四八年のイスラエル建国、もともとはあの辺からスタートしますので、長い話になりますので、とてもじゃないけれども時間がありません。

麻生太郎

2004-05-25 第159回国会 衆議院 環境委員会 第14号

私は、ちょうどパーレビの末期のイランとかトルコとか、あるいは南米にエネルギー植物探索等に行きましたが、サツマイモ野生種イポメア属というもの、ヒルガオなんかもこのイポメア属で、サツマイモと接げる植物なんですが、いい台木がないかというので、農林省から三人のチームがペルー、エクアドルに昭和六十一年の十月に探索旅行に入って、サツマイモの近縁野生種を探しに行ったんです。  

鮫島宗明

2004-02-16 第159回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第3号

この地域に大量破壊兵器を禁止するためのイニシアチブは既に七四年の段階で、当時のイランシャーパーレビサダト・エジプト大統領共同提案中東非核地帯構想を出しております。以後、毎年のように国連でこの提案が出されています。しかし、もちろんイスラエルはそう簡単には乗ってこない。イスラエルも絶対に反対だというわけではない。

津守滋

2002-11-26 第155回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号

参考人山内昌之君) イランの存在というのはアメリカにとって大変悩ましいと思うんですが、最大のやはり要因は前イラン駐在大使がお語りになったとおりで尽くされているんですが、やはりパーレビ朝という前王朝が、これはアメリカ中東における最大同盟国であり、その同盟国を失ったときのトラウマ、これがまだ完全に回復されていない。

山内昌之

2002-07-16 第154回国会 参議院 経済産業委員会 第24号

これはなぜかといいますと、発足と同時に、イラン石油イラン国王パーレビ国王さんと三井物産の契約により、あそこのモービルが持っていた利権を、ADMA油田というところを、ジャパン石油開発という会社を設立することによって二千五百万キロリットルが当時入る予定でした。イラン石油の方はモービルからです。ジャパン石油開発はブリティッシュ・ペトロリアムから譲り受けたんです。

舘澤貢次

2002-02-13 第154回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

ただ、サウジアラビアが実際に代理人の役割を果たしたかというと、これはかなり疑問でありまして、むしろイランが、当時パーレビ国王の支配している、イラン革命の前のイランでございますけれども、パーレビ国王が支配しているイランアメリカ代理人となって、当時よくペルシャ湾憲兵とかそういう言い方を、あるいはペルシャ湾の警察官という言い方があったわけですが、ペルシャ湾における安全確保ということをイランが基本的には

立山良司

2000-11-09 第150回国会 衆議院 青少年問題に関する特別委員会 第2号

思い起こしますと、あのパーレビ国王が絶大な権力を誇っていたイランにあって、なぜイスラム革命が起こったのかということをほうふつとさせられたわけでありますけれども、革命の原点は、イランという国が余りにもアメリカナイズされて自由な国になり、そして非イスラム的な社会ができつつあったところに革命が起こった、私はこのように理解をするものであります。町を歩く女性は、きれいにお化粧をし、そして肌を露出させる。

松浪健四郎

1984-07-24 第101回国会 衆議院 社会労働委員会 第27号

大臣もお聞きになったと思いますが、イランのいわゆるパーレビ体制崩壊をして、そして今ホメイニ体制になっております。このコーランに返れという一種の革命が起こっておるわけです。したがって、いわゆる男女の隔離ということが現実に進められておる。パーレビ体制近代化を進めていった。これはパーレビ自体が、自分は間違っておったかなという言葉を残して死んでいった。

塩田晋

1983-10-06 第100回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査特別委員会 第2号

この間に明確な因果関係があるかどうかは、これはまた推測する以外にないわけでございますけれども、アメリカ崩壊の中でアンゴラへ出てきたこと、あるいはイランに対する政策が、パーレビを助けるのか助けないのか非常に動揺したこと等々が結局力関係ソ連にとって有利だと思わしめた一つのファクターではないかと思うわけであります。

漆山成美

1981-10-23 第95回国会 参議院 決算委員会 第2号

各国の政界のいろんな癒着の問題、たとえば、イランパーレビ国王がキッシンジャーにダイヤのあれを贈ったと、こういうことが失脚後に問題になりましたように、そういうことをひとつ先例的に示していく、こういう意味でも私は大事だと思いますので、その点ひとつぜひ検討してもらいたい、こういうふうに思っております。  

佐藤三吾

1981-03-02 第94回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第3号

つまりパーレビ国王崩壊寸前のテヘランへ行きまして、そしてエジプトへ参りまして帰りました。日本の感覚はどうもおかしいのじゃないか、こういう話でございました。  中近東では王室というものは特殊な形態をとっておりまして、少々金がたまりましても、教育費社会保障費をただにいたしましても、不公平や腐敗に対する批判は強いので政局は安定していないというふうな見方が一面あると私は思う。

大原亨

1980-10-21 第93回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

それがパーレビ王の放逐以来、こういう事態になりまして、世界じゅうが大きな影響を受けており、日本がまともに受けております。しかし、これも石油を何とか入手して国民経済安定的発展を図ろうという外交政策等に基づいてやってきたことで、それがはからざることによって、戦争ということはどちらかと言えば保険的には不可抗力に近いことであります。

中曽根康弘

1980-05-15 第91回国会 衆議院 外務委員会 第22号

野間委員 こういういろいろな一九五三年からの例のモサデク政権打倒あるいはパーレビ国王の圧制、それとアメリカとの関係ということで、かなり古いそういう背景があるわけですね。メキシコの大統領もそういう趣旨のことを言っておられたということのようですけれども、したがって、この解決についてはやはり時間を十分かけて話し合いによる解決の糸口をつかむということが何より大事ではなかろうかというふうに思うわけです。

野間友一

1980-05-13 第91回国会 衆議院 本会議 第24号

二十七年前、アメリカの介在したモサデク政権打倒クーデターパーレビ王制が生まれ、数万人を投獄した虐政を支えるなど、アメリカの明白な国際法違反の数々が今回の事件の背後にあるのであります。  イランに対してだけでなく、これまでアメリカは各地で世界の憲兵として振る舞い、あのベトナム戦争キューバ侵攻レバノン出兵など、国際法違反を繰り返してきたのであります。  

榊利夫

1980-04-26 第91回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第2号

長い間のパーレビ時代に、アメリカ大使館を中心にどういう行為が行われたか、人民に対してどういうことが行われたか、その恨みつらみがあってのことなんですよ。だから謝れ、過去のそういう悪業について謝れと言って、占拠して迫っているんでしょう。彼らにも原因があるわけです。そういう不法、無法な行為現実にあれば、それに対抗するために何をやってもよろしいということにならない。

石橋政嗣

1980-04-25 第91回国会 衆議院 決算委員会 第18号

その背景は何かと言えば、直接的には例のパーレビの問題をめぐって、これはすでに一年ほどの経過があるわけですが、こういう問題がある。もう一つは、もうちょっと遠い原中になりますと、一九五三年にモサデク政権が倒された問題、これはクーデターによって倒されましたが、このクーデターはまぎれもなくアメリカのCIAが仕掛けたクーデターである。

庄司幸助

1980-04-24 第91回国会 衆議院 大蔵委員会 第26号

なぜなら、イラン国民がこれだけアメリカに抵抗するというのはやはり歴史的な事情があることであって、近い例で言えば、昭和二十八年に当時のモサデク政権が、皆さん御存じのとおりアメリカクーデターによって、追われているパーレビ王政にかわったわけですね。これがいわば中近東憲兵のような役割りを担って非常に国民を抑圧する。それからアメリカ石油支配が非常に強まっていった。

多田光雄

1980-04-24 第91回国会 参議院 外務委員会 第7号

そしてこれはもうアイゼンハワー大統領回顧録の中でも明確に述べられていますから、間違いない事実なんですが、それからまた今度、昨年の一月ですね、つまりイランで新しい革命が起こるという、そういう状況を察知してハイザーNATO軍司令官イランに派遣して、事実上軍部クーデターを起こして、そういう新しい政権ができないようにする、これは事実上失敗しましたけれども、そういうやり方をしてきた、それからパーレビに対

立木洋

1980-04-24 第91回国会 参議院 外務委員会 第7号

アメリカパーレビパナマから外に出さない、そのかわりイランの方はアメリカの過去のいろいろな干渉については問わない、そして人質は病院に移すという約束をカーター大統領との間で、カーターさんもこれを承知していた。ところが、それを破ってパナマから元のシャーを、パーレビエジプトにやったと、だからそれに対してアメリカに対する不信感があるので最高指導部はこれに反対したんだと。

田中寿美子